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60歳で心機一転。仕事探しではじめたこと、受注から納品までで気づいたこと

※本記事の一部にはアフィリエイト広告を利用しています。

60歳で心機一転。仕事探しではじめたこと、受注から納品までで気づいたこと

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アルバイトを経て、20歳で広告制作会社のコピーライターとして働きはじめ、あれこれあってもう40年以上が経過。

約2年前、60歳になってしばらくすると仕事の受注が大激減。再起を図らなくてはいけない状態に。
突然のことに慌てふためきましたが、その後に不安定ながらもなんとか持ち直すことができました。

そこで、参考までにこれまでの40年を振り返りつつ、62歳をを迎える仕事の状況や仕事探しで感じたことをまとめてみました。
振り返りがちょっと長いので、フリーランスの仕事探しに興味がある方は、飛ばして2番目の見出しから読んでください。

 

これまでの仕事を振り返ってみると...

文章を書く仕事がしたいと「コピーラーター養成講座」に1年通い、講座の紹介で広告制作会に入社。

メディアの広告枠に掲載する純広告ではなく、雑誌の記事広告、ポスターやパンフレットなどSP(セールスプロモーション)のコピーを4年ぐらい書いていました。

当時は糸井重里さんや仲畑貴志さんなどコピーライターの枠を超えて活躍されていた時代で、少しでも近づきたいともがいていました。

 

西欧諸国をめぐる短期遊学で変わった価値観

そんなあるとき、一緒に仕事をしていたカメラマンから「ドイツに1カ月間、作品作りに行くけどアシスタントで来ない?」と誘われ、勤めていた会社の仕事内容に変化がないこともあって、自分から変化を起こそうと「行きます」と答えて人生初の海外へ渡航。カメラアシスタントに加えて西欧各国をめぐる約4ヶ月間の「遊学」を満喫しました

24歳になる1986年は冷戦時代。西ドイツのデュッセルドルフを拠点に撮影を手伝いながら、約1カ月の間に貴重な経験もさせてもらえました。

たとえば、著名なドイツ人アーティストのヨーゼフ・ボイス氏の送別会でビデオアーティストのナムジュン・パイク氏に会えたり、デュッセルドルフ在住の日本人アーティスト・橋本左右平氏のホームパーティに招かれ隣国在住のアーティストと歓談したことでアートに関心を持つようになったこと。西ベルリンから電車で東ベルリンに渡り、東西のベルリンで街の姿や人々の様子がこんなに違うものかと感じたことはいまも記憶に残っています。

その後、ヒッチハイクをしながらロンドンへ移動。コーチバスで約2時間の農場で約1カ月間のファームステイを体験。さらに、ロンドンの従兄弟の自宅で約2週間お世話になり、スペイン・フランスをめぐり東京へ帰国しました。

イギリス・スペインでは多くの日本人と出会い、いまでもやりとりを続けている方がいたり、ファームキャンプでは西欧や北アフリカ各国の若者とふれあうことができ多くの刺激を受けました。

 

帰国後、自分の中で最も変わったのは、“普通はつまらない”“個を出すこと”でした。

アーティストたちと出会い各国の美術館で作品を鑑賞して「誰もが考えそうな普通はそこらじゅうにあるから、ほかとの比較ではなく、考えや思いをもっと素直に出して表現しないと自分の存在価値はない」と感じたからです。ファームキャンプで出会った若者たちも“自分はこう思う・感じる・考えている”としっかり個を主張していましたからね。

SNSやウェブサイトがなく、海外の情報は新聞やテレビ、もしくは現地に行かないとわからない時代だったので、4カ月も西欧各国で過ごせたこのは、今につながる大切な時間でした。

 

フリーランスを経て法人を設立

帰国後、24〜28歳までの4年間はフリーランスとして仕事をしました。

辞めた広告制作会社から仕事をもらったり、ロンドンで知り合った方のつながりで情報番組のリサーチ業務を担当したり、人とのつながりが仕事を呼んでくれることを実感しました。情報を集めて精査して、取材と出演交渉を行うリサーチ業務では、相手から話を聞き出す経験がその後のインタビュー取材などで役に立っています。

 

20代は4年周期で何かが起こるようです。

担当のレギュラー番組がなくなり、“どうしよう?”と先行きが不透明な28歳のときに友人と会社を設立。“どうにかなるだろう”という楽観的な思考はいまも同じですが、思い返すと何の保証もないのによくやったと思います。

渋谷に小さな事務所を構えたものの仕事はほとんどない状態。しかし、番組でお世話になった構成作家が飲み屋で紹介してくれた同い年の男性が新しい扉を開けてくれました。大学時代の仲間が出版社でガジェット系雑誌の編集をしていると紹介してくれたんです。

やっぱり人が人を呼び、仕事につながるんですね。

特集ページの企画と執筆がスタートすると、運気が上がったのか新番組のリサーチ依頼が舞い込み会社は軌道にのりました。

28歳で会社をはじめ32歳で譲渡するまでの4年間は、複数名の社内アシスタントと外部スタッフと一緒に、月刊誌1本、週1のレギュラー番組1本、月1の特番1本、年度版の雑誌を1本など、いろいろな経験をさせてもらいました。

この時期に感じたのは、書く喜び、伝える楽しさ、リサーチしたことが番組内の映像として表現されるおもしろさでした。

 

勉強のために会社に入社。またフリーランスへ

会社をたたんだ理由はいくつかあります。1つは自分が中心となって行っていた仕事をほかの人にまかせることができず、オーバーワークでカラダがもたなくなったこと。もう1つは、昔の言葉で言うと「マルチメディア」の時代がはじまり可能性をリアルに感じてみたくなったことでした。

バブルが弾けたとはいえ番組の1本単価は数十万円。放送は毎週あるので継続した方がいろいろな意味でよかったわけですが、文字を読んだり番組を見たりする一方通行では完結しないマルチメデイアの世界が本格化する気配にワクワクしていたので、きっぱり線を引くことにしました。

 

そこで32歳である会社のマルチメディア事業部に入社。プランナーの立場でCDコンテンツやゲームを企画したり、シナリオを書いたりする仕事をはじめました。
当初はわからないことだらけでしたが、制作の流れや当時の技術でどんなことができるのかを理解すると企画やシナリオを書けるものなんですね。

でも、マルチメディアの世界は魅力が満載でしたが、技術者たちがそれぞれの担当をこなしていくスタイルで、雑誌や番組のようにみんなで一緒に創り上げていくことがなかったので楽しめないなと感じていました。

そんなこともあり、どんな世界なのか実体験できたので約2年で会社を退社、34歳のフリーランスとして雑誌とテレビの世界に戻ることにしました。

 

それから60歳になるまでの26年は、山あり谷ありの繰り返し。
以前のレギュラー番組に戻ってリサーチを担当したり、ガジェット系雑誌で編集していた友人が新創刊のファッション誌を立ち上げるので参加したり、編集者を紹介してくれた同い年の男性が広告プロモーションの仕事をはじめたのでプランニング&コピーライターとして協力したり、旅行雑誌で海外へ取材に出かけたり、いろいろと楽しませてもらいました。

でも50代前半は受注が不安定になり苦労することが多々あったので、“やっぱりどこかに属して安定した生活もいいかな”と、ハック系ウェブメディアの編集長をしていた雑誌時代の友人に相談。60歳を迎える前の6年間は、業務委託のライター兼編集者としてそのウェブメディアの編集部に属していました。

ウェブメディアの仕事は初心者でしたが、担当していた記事広告と自分で企画したオリジナル記事、ガジェット&ツール系のレビュー記事は、これまでの経験を活かすこともできて楽しかったですね。

 

60歳を迎えて、環境が変わり、心機一転することに

20歳でコピーライターとして仕事をはじめ、会社をつくり、会社に入り、フリーランスに戻り、いろいろなメディアで仕事を任せてもらいました。そんなことができたのは、仕事で知り合った友人たちがいたからです。繰り返しになりますが、人が人を呼んで仕事を与えてくれたわけです。

でも、60歳を迎えた時期にあれこれあって、何度目かのフリーランスになると環境はまったく変わってしまいました。あぐらをかいていたんでしょうね。
友人たちも元気に仕事をしていますが、その役割は現場の中心から少し離れた場所にあり、こちらに仕事をまわすような状況はありません

そこで、“これはマズいぞ”ということで、人生初の営業といくつかの求人サービス・アウトソーシングサービスを活用することにしました。

 

60歳での仕事探しの方法と対策

もうすぐ62歳になるので、仕事的にちょっとマズいと感じて動き出したこの2年間をまとめてみます。

フリーランスのライターなので、すべての方の参考になるわけではありませんが、“職種にこだわっているとこうなりますよ”という部分では役に立つかもしれません。

 

仕事探しは♪で登録した4つのサービス

仕事探しはどうすればいいの? と思いつつ、とりあえずすぐに思いついた求人検索エンジンの「Indeed 」に登録。具体的な職歴を入力しつつ、求人マッチ度改善設定にある経験とスキル、優先条件などを設定してみました。

ほかの3つのサービスは、ライター仕事があるアウトソーシングで、具体的には「 クラウドワークス」「ランサーズ」「サクラサクワークス」です。

60歳の初老男性に仕事はあるのかと思いつつも、登録後は毎日のように届くIndeedからの求人情報メールを確認。
ほかのアウトソーシング3社はプッシュ通知が届くとチェックしていました。

 

あれから約2年、4社それぞれの印象は。以下の通りです。

★Indeed
・ライターの仕事、フルリモート、業務委託などに設定。
・求人情報は多いが、年齢制限や単価の安い求人が多く、なかなか希望に添った情報が得られない。
・希望に合致した求人に応募してみたが、不採用の通知が圧倒的に多いのが現状。理由は不明。
・採用されてもこちらから手数料を支払う必要がないのはありがたい。

★クラウドワークス
・職歴と具体的な業務内容、スキル、1文字2円以上などの条件を設定。
・単価が安い依頼情報が多く、希望に添った仕事はそこまで多くない。
・いくつか応募してみたものの多くは不採用もしくは回答なし。
・採用された業務依頼は不定期ながらも継続的に受注している。
・報酬額によって変わるシステム手数料が〜20%なのがちょっと辛い。

★ランサーズ
・条件を含めた設定は、クラウドワークスと同じ。
・プッシュ通知はほとんど届かない。ということは合致した情報が少ないのかなと。
・依頼のメッセージ内容の多くは単価が安い、希望の仕事とは異なることが多い。
・システム手数料は契約金額の16.5%。なんとも言えない。

★サクラサクワークス
・条件を含めた設定は、クラウドワークスと同じ。
・案件の77%が文字単価2円以上
・案件はそこそこあるが、スカウトが多く公募は極端に少ない。
・報酬額はインボイス対応価格(税込金額の2%を減額した額)。
・楽天銀行の送金サービス『メルマネ』を利用すれば振込手数料が無料。

正直なところ、上記のサービスを使いこなしているかというと「?」です。
依頼を増やす設定や方法があるようですが、そこまでやっていません。

なので、これらの印象はあくまでも“まだ踏み込んで活用していない”人の場合と思ってください。

 

4つのサービスからの仕事を受注してみた感想は?

この2年間で受注した仕事はランサーズを除いた3社から各1件ずつありました。
2年間で3件だけ? と思うかもしれませんが、職種や条件設定などにより依頼数は異なるのでご理解ください。

★Indeed
・医療系メディアでのインタビュー+文字起こし+執筆。1記事1500文字程度で@2万円弱。
・毎月数本の依頼があるので安定した収入があり助かっています。
・取材月の翌月掲載、掲載月の翌末払い。支払サイトは一般的。

★クラウドワークス
・ガジェットレビューの撮影+執筆。1記事8000文字前後@3万円。
・不定期ながらも年ベースだと月1本程度。
・キャプションやスペック表なども入れ込むので、本文は6000〜7000文字程度。
・支払サイトは、15日締めの月末振込と月末締めの翌月15日振込なので早い方。
・ただ、10万円以下のシステム利用料が契約金額の20%でかなり痛い。

★サクラサクワークス
・担当したインタビュー記事は、構成案+インタビュー+文字起こし+執筆。5500文字程度で@4万円。
・現在、別のインタビュー記事の打診があり、実績を重ねてスカウトを待つスタイルなのかも。
・上記打診案件は以前より単価が高いので、案件で報酬額にバラツキがある様子。
・報酬額は4万円からインボイス対応価格(税込金額の2%を減額した額)の800円が減額されただけ。
・支払方法は、原稿納品→担当者承認→報酬額確定後に支払手続き→振込。
・上記インタビュー記事の場合は、納品後の翌月に報酬を受け取ることができた。

 

サクラサクワークスのインタビュー記事だけ修正+追記が1回ありましたが、ほかの案件はこれまで納品するだけで済んでいます。
原稿のクオリティによるわけですが、このあたりも事前に確認しておかないと報酬に見合わない可能性もあるので以前にしっかり確認しています。

そのほかの仕事は、散発的に行っていた旅行雑誌の担当者経由で旅行サイトの施設情報を紹介する記事を毎月執筆しています。本数は月ごとに変わりますが、こちらも収入の安定化に貢献してくれています。

 

ということで、つらつらと書いてきましたが、あれこれと昔を懐かしく思いだして文字量が増えてしまいました

最後に、記事執筆のため改めて橋本左右平さんのことを調べてみると2023年に亡くなっていたことがわかりました。ご冥福をお祈りいたします。

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